西谷 信広

2月生まれの水瓶座。

小中高の12年間、圧倒的に遊び、一切勉強をせずに過ごす。

色々と上手くゆかない事、人生の辛さはすべて社会のせいにしていた高校時代。バイクとバイトに明け暮れる毎日を過ごす。

言うまでもなく成績はビリから数えたほうが早い、いわゆる『落ちこぼれ』。自分の下にまだ何人かいた事がうれしかった。

20歳の時、ある事がきっかけで『猛烈な危機感に襲われ』、逃げる事をきっぱりやめた。これが人生のターニングポイントである。

“国境超えれば簡単には逃げ帰れない”という事で、『英単語さえも読めないのに』無謀にも米国を学びの場として選択。20歳で渡米後は英語を1から猛烈に叩き込み、1年後に大学進学。過去20年分を学び、正にスポンジの様に吸収。異国の地で、異国の言葉で、生まれて初めて知った学ぶことの面白さから、それが趣味となり、夏休みも冬休みも講義を取り続け3年半で卒業。その後、1年間のインターン就業をして帰国。

帰国は26歳だったため、同世代からすでに数年の遅れを取っている事に焦りを覚える。そこから、「1年で5年分に匹敵する経験をする」、「何があっても投げ出さない」など、幾つかの目標を掲げ、実践。就職後、数カ月の現場経験から掴み取った新規事業アイデアで『世界初システムの構築』を実行。1日20時間365日働き、時給換算すると高校生のアルバイト以下だったが、学びの多い、大変楽しくも充実した時間を過ごす。

不眠不休、圧倒的な顧客中心主義で立ち上げた事業は、世界初にして年商60億円に急成長。勤務先の売り上げを飛躍的に引き上げ、東証一部上場をけん引。わずか2年で40名の人材採用を実施。各自の成長をけん引し、自分と部下の所得を急激に増加した。一方、2億5千万円という赤字を計上した事もあり、増収減益のけん引役?として大失敗も経験。会社によっては首でも文句は言えなかったが、理解ある社長のお蔭で助かる。

その後、数社で事業立ち上げを主導及び指導することで更なる人材開発をけん引。直接指導し成長してもらい、所得を増やし、地位を上げた部下は200名を超える。人材育成をしながら立ち上げた事業は20億から30億円の事業規模に成長している。

組織変革にも従事。人員の最適配置及び受発注関連の改善により利益率を10%改善するなど企業発展に寄与。多国籍企業で国内外事業を統括後、独立。日本企業の更なる発展に寄与し、文化の垣根を超えた成功をサポートする事を目的にAperaion株式会社を設立。

人生のミッションは『一人でも多くの人に働く楽しさ、意味を知ってもらい、経済的成功を手に入れてもらう事』座右の銘は『克己復礼』。働きながら豪州ボンド大学にてMBAを取得(経営学修士)。

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